PLAN 75
75歳以上の人は安楽死を選択できる制度ができた日本の話 https://www.youtube.com/watch?v=lqHXV52C9gI
https://www.youtube.com/watch?v=coMGYea1vBM&feature=youtu.be
PLAN75のCM
2018/11
そのPLAN75だけをキャストを一新して再構築したのがこの映画らしい
監督へのインタビュー
https://gyazo.com/ac82338da224a8ade327d61c0c6a4155
以下、ネタバレ含む感想
映画の冒頭、映画入る部屋間違った???となってびっくりした
老人が増えすぎて、支払う税が流れることに憤った若者たちによって全国的に老人の無差別殺人のようなものが起こる
それを受けて、政府が安楽死できる制度PLAN75を導入する
これは75歳以上の人なら誰でも安楽死を選べる国の制度
申請者には国から支度金として10万円が支給される
主な登場人物は4人
役角谷ミチ
78歳
夫と死別して独り身
ホテルの清掃員をしていたが、半分クビのような形で辞職
その後、新たな職を探すも上手くいかない
独り身の友人は、誰にも気づかれることなく家で孤独死するのを目にする
PLAN75の申請を希望する
最後は謎に死ななかった
役岡部ヒロム
PLAN75の受け入れ担当をする公務員
PLAN75のことをよく思っているかどうかは不明
普通に公務員として仕事をしている感じ
担当する相手に、久々に会う叔父が来る
最後、死んだ叔父を施設から連れ出す
役成宮瑶子
PLAN75の申請者との話し手になるオペーレータの仕事をする人
独り身のお年寄りは会話する相手がほしい
そういう人に対して電話経由で1回15分で話し相手になる仕事をする
情が湧かないように会うのは禁止されている
が、ミチと1度実際に会ってボウリングしたりする
ミチの当日の前日に私情で止めようとする電話をかけるも繋がらなかった
役マリア
日本に住むキリスト系のフィリピン人の女性
病気の子供の手術代を賄うために働いている
最初は老人ホームのようなところで働いていたが月給は15万と安い
教会(?)で知り合った人に教えてもらってPLAN75で亡くなった人の持ち物などを遺品処理する仕事に就く
最後自転車を漕いでるシーンがあったがよくわからない
この人の映画の中の立ち位置がいまいち掴めていないmrsekut.icon
インタビュー記事を見たらわかった
自己責任的な日本人との対称として、コミュニティで助け合う人として描かれている
全体的にリアルで、説明がほとんど為されない映像だった
フィクション特有の説明調の会話などがほとんどなかった
沈黙が続いたり、動きのない映像が数秒流れるシーンも何度かあった
音も刺激的で、急に発砲音が聞こえたり、金属物が床に落ちる音がしたりびっくりした
説明がない分、読み取りが難しい点も何個かあった
この辺の穴埋めはmrsekut.iconは不得意
赤い玉は誰が投げたのか
普通にPLAN75に反対している人たちか
ミチは何故死ななかったのか
ヒロムは何故、叔父を連れ出したのか
自分たち親族のお墓に入れたいからかなと思った
マリアは何故、それの手助けをしたのか
マリアのチャリンコシーンはどういう意味なのか
「安楽死の制度にあなたは賛成ですか?反対ですか?」みたいな問い方をする映画ではない
それが取り入れられた直後のリアルをそのまま描いている感じ
感想を述べるなら
映画館の客層について
映画館の客層について
平日の木曜日の11:40~というかなり変な時間に映画館で見た
mrsekut.iconは日木を休みにしている
変な時間なせいもあるかもしれないが、客の年齢層がかなり高かった
自分ら以外は、ほとんどPLAN75の対象になりそうな人たちだった
夫婦か友達同士かで来ている感じ
お年寄りの人が普段いる界隈で広告が打たれたりしたのだろうか、という話を一緒に見た人とした
劇中でも「お年寄りは寂しい」とか「減った方が良いんですよ」的な存在を否定する感じの発言が出てくる
それは若者が発しているときもあれば、お年寄り自身が自虐的に言っていることもあった
これを見た時、その観客らはどう捉えるんだろう、というメタ的な感覚もあった
この映画内での死の選択は「自分で決めている」のかと言われると違う気もする
高齢になって、独り身で、就職するにも邪魔者扱いで、生活保護や炊き出しを受けるなど、社会的にお前は何も生産していない、と暗に言われる環境に囲まれている
75歳という年齢制限があるからこそ、この色が濃くなっている
安楽死自体を肯定しているのではなく、生産性のなくなった人間を排除することを望んでいる雰囲気が漂う
作中でも健康診断の描写で「長生きしたいみたいで申し訳ない」と言っていた
とは言え、自分で死のタイミングを決められること自体はそうあるべきだと思うmrsekut.icon
でもまあ、現在でも自殺という選択肢があるので、それはすでに叶っている 推しは推せる時に推せにもあるように、推しの対象が目標を達成し、活動を終えることは祝福されるべきイベントである 問題を挙げるとすれば、その制度によってなかば強制的に死を勧められることであって、死のタイミングを自分で決められること自体には問題はない
それがポジティブな理由であろうと、ネガティブな理由であろうと自分でそれを決定できることに意味がある
しかし、周りから暗に強制されることについては、自殺を止められない以上、同じだとも言える
そうして考えれば、安楽死制度などあってもなくても特に変わらない
自らで死を選択できる人間は、その制度などなくてもそれを実行している
これが全人類に対して適用できるとも思わないけど
自分が全く非生産的だと自覚していたとしても、自分本位で生きたいなら生きるべき
世界の問題でそれが難しいなら、お前が変えるか、お前が変わるか、死後の世界に期待するしかない
現状の倫理観の元でPLAN75のようなものが出てきたら、こういう悲観的なノリになるのは仕方がない
理想的には、もっと前向きに死と向き合ったほうがいい
一回きりの人生をやっていくことを考えればこういう感じになると思う
劇中で、「周りの人が悲しむから」という理由で死を辞める雰囲気がないのは良かった
独り身であるのもあるし、それ以外の理由が大きすぎるというのもあると思うけど
享年67歳である
立場がどうとか言うのは抜きにして、死ぬ意思がないのに、周囲の人間によって命を獲られるのは不本意であろう
PLAN75に反対派の人はどういう理由で反対なのか
強制されるのが良くない?
死ぬこと自体が良くない?
生産性で人の価値を判断するべきでない?
生きたいと思っている人には何らかの延命措置を取るべき?
就職先なども含めて
ホームレス支援なども含めて
そうあるべきとも思うが、じゃあお前がやれよと言われると、うーん、という感じもあるmrsekut.icon
この辺に対する自分の想像力の低さというのはあると思う
普段の生活でお年寄りの人に関わる機会も全く無い
また、死はまだ想像の範疇でしかないくて、現実味もあまりない
普段から誰かの死と隣合わせな、葬儀屋とか、マリアのやっていた遺品処理とかそういう仕事をやってみるべきなのでは